鍼灸院の事業承継やM&Aを検討する院長向けに、売却相場から具体的な手続き、最新の補助金・税制優遇、特有のリスク対策までを網羅した完全ガイドです。

事業譲渡と株式譲渡、鍼灸院はどちらを選ぶべきか

事業譲渡と株式譲渡、鍼灸院はどちらを選ぶべきか


個人事業の鍼灸院は「事業譲渡」、法人経営の鍼灸院は「株式譲渡」が基本線です。どちらのスキームを採るかで、手続きの範囲、税金、従業員の扱いが変わります。


比較項目事業譲渡株式譲渡
対象設備・造作・営業権など個別の資産法人の株式(会社そのもの)
適用しやすい形態個人事業主、法人の一部門医療法人以外の法人(株式会社等)
従業員の雇用原則として再契約が必要法人のまま継続
契約の引き継ぎ賃貸・リースは個別に承諾が必要原則そのまま継続
保健所手続き廃止届+開設届が必要原則として変更届等で対応
簿外債務の承継引き継がない範囲を特定できる原則として包括的に承継
売り手の課税所得税(譲渡所得・事業所得等)株式譲渡益への課税
鍼灸院のM&Aでは、買い手が簿外債務リスクを避けたいという事情もあり、事業譲渡が選ばれるケースが多いのが実情です。ただし事業譲渡は「契約を一つずつ巻き直す」作業が発生するため、賃貸人の承諾が得られるかを早期に確認しておく必要があります。

保健所への届出と行政手続きのチェックポイント


事業譲渡で鍼灸院を引き継ぐ場合、売り手は管轄保健所へ「施術所廃止届」を、買い手は「施術所開設届」を提出し直す必要があります。この手続きを軽視すると、譲渡日に施術ができない空白期間が生まれます。


手続きの基本的な流れ


  1. 譲渡日を確定し、管轄保健所に事前相談する(必要書類と期限は自治体で差がある)
  2. 買い手がはり師・きゅう師免許の原本と構造設備の要件を確認する
  3. 売り手が廃止届を提出(開設者の変更に伴う廃止として扱われる)
  4. 買い手が開設届を提出し、受付印のある控えを保管する
  5. 保険請求を行う場合は、受領委任の取扱いに関する届出も改めて確認する

見落としやすい実務ポイント


  • 施術所の構造設備基準(面積、消毒設備、換気など)は開設届の際に再度チェックされる
  • 屋号を変える場合、看板・Webサイト・予約システムの表記変更が同時に発生する
  • 広告可能な事項には制限があるため、承継を機に表記を見直す
  • カルテ(施術録)の引き継ぎは個人情報保護の観点から患者同意の整理が必要
  • 消防・防火関連の届出や賃貸人への用途確認も、変更の有無を点検する
行政手続きは「譲渡契約を結んだ後に慌てて調べる」と間に合わないことがあります。基本合意の段階で管轄保健所に確認するのが安全です。

鍼灸院特有のリスクと具体的な対策


鍼灸院の事業承継でトラブルになりやすいのは、回数券の未消化分、資格と行政手続き、患者離れとスタッフ離職の3領域です。いずれも事前に設計しておけば回避または軽減できます。


リスク1:未消化の回数券は「簿外負債」になる


患者が前払いで購入した回数券のうち未消化分は、買い手にとって「現金を受け取らずに施術を提供する義務」です。帳簿上に負債として載っていないことが多いため簿外負債として扱われ、譲渡価格から差し引かれるのが一般的です。


対策としては次の方法が考えられます。


対応方法内容留意点
価格から控除未消化残高を算定し譲渡価格を減額最も一般的だが手取りが減る
売り手が精算譲渡前に返金または消化を促す患者への説明と原資が必要
期間を区切って引き継ぐ譲渡後一定期間のみ有効として扱う利用規約と患者同意の整理が前提
売り手が差額を負担消化実績に応じて後日清算清算ルールを契約書に明記する
重要なのは、まず未消化残高を正確に集計することです。販売記録が紙台帳のみという院も珍しくなく、DDで数字が出せないと「不明な負債がある」と判断されて評価が大きく下がります。

リスク2:資格要件と開設者変更の落とし穴


施術所の開設者は必ずしも有資格者である必要がない場合もありますが、実際に施術を行う者ははり師・きゅう師の免許が必須です。買い手が無資格の投資家やチェーン運営法人の場合、施術を担う有資格スタッフの確保が成立条件になります。承継候補を評価する際は、資金力だけでなく「施術者をどう配置するのか」を必ず確認してください。


リスク3:患者離れとスタッフ離職を防ぐ移行設計


承継直後に起きやすいのが、患者とスタッフの同時離脱です。これを防ぐには引き継ぎ期間の設計が鍵になります。


  • 院長は譲渡後も数か月〜半年ほど残り、段階的に担当を移す
  • 患者への告知は「院長が変わる」ではなく「体制が充実する」という文脈で伝える
  • 主要スタッフには最終契約前後に個別面談を行い、雇用条件を書面で示す
  • 新体制の施術方針・料金変更は、少なくとも最初の数か月は据え置く
  • 予約システムや連絡手段を変える場合は、移行期間を重ねて周知する

労務面は2026年の指針改正を踏まえて整える


厚生労働省の「事業譲渡等指針」改正が2026年5月に適用されることで、M&A時の従業員への説明や雇用維持への配慮がより重視される流れにあります。事業譲渡では雇用契約を巻き直すため、労働条件の不利益変更や説明不足が後々の紛争につながりやすい領域です。雇用契約書、就業規則、労働時間管理の記録を早めに整備し、スタッフへの説明内容と時期を仲介者・専門家と確認しておくことが、トラブル防止につながります。


承継前に確認したいチェックリスト


動き出す前に自院の状態を棚卸ししておくと、相談の初回から具体的な話ができます。


数字・資料の確認


  • 直近3年分の確定申告書または決算書がそろっている
  • 月別の売上・患者数・新規数を提示できる
  • 保険診療と自費診療の比率を把握している
  • 回数券・前払いメニューの未消化残高を集計できる
  • 借入金の残高と返済条件を整理している

契約・資産の確認


  • 賃貸借契約書に譲渡や名義変更に関する条項があるか把握している
  • リース・サブスク契約の残債と引き継ぎ可否を確認している
  • 治療機器の購入時期と現在の状態を把握している
  • 看板・Webサイト・SNSアカウントの管理権限を保有している

人・体制の確認


  • スタッフの資格、雇用形態、給与条件を書面で整理している
  • 院長不在でも施術と受付が回る日が週にどれだけあるか把握している
  • 患者の継続率と院長指名の割合を概算できる
  • 引き継ぎ期間として何か月残れるか、自分の希望を決めている

希望条件の確認


  • 譲渡したい時期(最短・希望・最長)を決めている
  • 最低限確保したい手取り額の目安がある
  • スタッフの雇用維持を条件にするかどうかを決めている
  • 屋号や施術方針の継続をどこまで求めるかを整理している